2013年9月12日(木) 田川市石炭・歴史博物館 |
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「飯塚市歴史資料館」に行ったときに、一度は行ってみたいと思った「田川市石炭・歴史博物館」目指して、予定より1日早く出かけ、立ち寄った。 |
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8月と同じだった。ほっ。 |
雨になるかも… |
宮島SA(下り) |
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お天気が悪かったが、久しぶりに下りの宮島SAに寄った。 案の定、景色はさっぱりだったが、晴れた日はいいだろうなと思わせるロケーションだ。スタバがあるのは知らなかったな。 |
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富海PA(下り) |
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富海(とのみ)もさっぱりだったが、幻想的な風景に見えて、これはこれで「良しとしよう」と思うことにした。 |
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吉志PA(下り) |
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吉志(きし)PAには、シャワー・ステーションがある。10分200円か。マッサージチェアやコインランドリーまで。マッサージチェアは無料。これはうれしいよね。マッサージする人影に、「ほっこり癒されてね」とこっそり声を掛けた。 |
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石炭記念公園 |
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ははたちが車を停めて石炭博物館に向かっていると、観光バスが何台か到着した。少し時間をずらそうと、先に石炭公園内を回ってみることにした。今にも雨が落ちそうだったので、先に外を回る方が正解かも知れない。館内見物の混雑も回避できそうだし。写真日和でないのが残念だ。 〇「田川市石炭・歴史博物館」のHPはこちら |
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「炭坑節発祥の地」のモニュメント |
なんだろう? 花ではなさそうだし… |
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炭坑夫之像 |
寄ってみる |
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炭坑節の碑 |
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「“俺たちはボタじゃない”と結束して、闘った原告たち炭鉱労働者とその妻たちの『じん肺訴訟』勝利の証し」と書いてある |
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「明治42年(1909)完成した「伊田堅坑櫓」深さ約300m、高さ約23m 明治44年(1969)年まで使用された」とある |
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人や炭車をのせて坑内外を往復した2段ケージとか⇒ エレベーター? |
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蒸気機関車に見えるけど |
前に回ってみると、やっぱり蒸気機関車 |
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型式:9600型蒸気機関車 番号:59684 |
なつかしい… ぽ・す・と |
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柵の上から手を伸ばして写真を撮っていたら、整備中の方が柵を開けてくださった。聞くと、毎年10月にOBを招いてのイベントがあるので、チェックしているという。9月30日まで公園も整備中だった。曇りで今日は写真がさっぱりだったが、晴れたらいい写真が撮れるだろうなと、ちょっと残念だった。コンデジでは限界ばかりだけど。 |
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完成:明治41年(1908)3月 高さ:45.45m 直径:3.1m(上部)5.6m(下部) 耐火煉瓦21,300枚使用(独製181,000枚、国産32,000枚) |
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霞んでいるが、遠くにボタ山 |
年代物のように見えた |
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電気 |
通信 |
「田川市石炭・歴史博物館」内へ |
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山本作兵衛さんの展示物以外は撮影OKということで、張り切ってはみたものの、やはり中は暗いし、ガラスが邪魔して思うようにいかない。研究しなくちゃ。 〇「田川市石炭・歴史博物館」のHPはこちら |
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博物館入口 |
大塊炭(だいかいたん) |
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三井田川鉱業所伊田坑模型 縮尺1:150 |
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C57型(貴婦人) 模型機関車 |
展示品の数々 |
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救護隊 |
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電話機 |
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ここで、一旦屋外展示場へ。 機械に詳しくないし、それ程興味がある訳でもないのでサラッと回るが、多分すごいお宝のような気がする。 |
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さっき見た機関車だ |
昔あった、あったこんな家 |
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あった、あったこんな台所 |
あった、あったこんな食事風景 |
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炭鉱の閉山を伝える新聞 右は1997年3月31日朝日 |
2001年(平成13年)11月29日 朝日 |
再び中に入る。 明治・大正期の手掘り時代は、2人一組、3人一組で採掘しており、先山(さきやま)、後山(あとやま)と呼ばれ、技術があったり、仕事に慣れている者(先山)が採炭し、そうでない者(後山)が石炭や材料を運んでいたそうだ。 |
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色々な方から寄贈されたさまざまな種類の炭塊 |
バンツァーコンベヤー(ダブルチェーンコンベヤー) |
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あった、あった。練炭七輪(しちりん)も練炭火鉢(ひばち)も「昔うちにもあったよなぁ」と思いながら、懐かしさで胸が一杯になった |
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2階テラスに出てみると、煙突もモニュメントも一望できて、素晴らしい。お天気がなー |
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ちちが、さっきからうるさく誘う。今日も暑いからな |
石炭ソフト |
2013年9月12日(木) 上野焼の里&白糸の滝 |
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一度、上野焼(あがのやき)の窯元に行ってみたかった。飯塚への行き帰りに、「いっぺん行ってみよう!」といつも言っていたので、ちちが近くの日帰り温泉を探したらしい。 |
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ほうじょう温泉「ふじ湯の里」 |
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「ふじ湯の里」キャラクターの藤姫(とうひめ)と藤若丸(ふじわかまる)が迎えてくれる、ほうじょう温泉「ふじ湯の里」へやって来た。 大浴場(福智山、大藤)は男女日替わりのようで、本日の女湯は、偶数日なので「福智山」だ。 ○ほうじょう温泉「ふじ湯の里」のHPはこちら 福岡県田川郡福智町弁城上の原1300-1 電話:0947-22-6667 |
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魁皇後援会寄贈? 直方じゃないけど、お隣だからね |
撮影禁止なので、ここまで |
「上野焼の里 ふれあい交流館」 |
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実は、どんなものが上野焼なのか、その特徴が今一つ分からないはは。見てもよく理解できなかったので、勉強が必要だ。買い求めたいものが2〜3点あったが、ここはぐっとガマン。もう少し研究してからにする。えらいぞー ○福智町公式ウェブサイト「あそぶ・くつろぐ」のページはこちら ○上野焼協同組合のHPはこちら 福岡県田川郡福智町上野2811 電話:0947-28-5864 |
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ギャラリーで「飯椀展」をやっていた |
陶芸館「ギャラリー陶(すえ)」 |
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敷地内に「協奏の庭」 |
河村光陽先生記念碑「童謡一路」 |
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手前「かもめの水兵さん」、向こう「うれしいひなまつり」 |
転がっている木の枝で叩いてみた |
福智町上野「白糸の滝」 |
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聞けば近くに滝があるという。これは行かねば。 が、想像したとおり、やっぱり道がだんだん狭くなる。離合できないとこわい(恐ろしい)ので、最初にあった駐車場で車を停め歩いていくことにした。 ○福智町公式ウェブサイト「あそぶ・くつろぐ」のページはこちら 福岡県田川郡福智町上野 北九州国定公園内 |
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うん?水汲み場まで来ると、もうひとつ駐車場。ちちは一旦下の駐車場へ行き、車を移動させるという。 |
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待っていようかとも思ったが、そんなに時間もかからないだろうしと、水汲み場の真ん前の道を、先に登りはじめることにした。 |
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まだか? |
まったけ? んな訳ないか |
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5〜6分も歩いただろうか。水の音がする! どうやら着いたようだ。橋の先に見えてきたそー |
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白糸の滝 古くは「梵音(ぼんのん)の滝」とも呼ばれていましたが、詩に「白糸・・・」と詠われたことから現在は「白糸の滝」と呼んでいます。山伏の行場でもあり、稲作に関係した瀧伝説も伝わっています。また、この滝と上野峡一帯は、松尾芭蕉の高弟「志太野披(しだやば)」が、赤松の幹の色と葉の緑、巨岩、滝戸野絶景を称賛したところでもあります。なお、帰途の折に上野焼窯元に立ち寄り、『投入て瀧見顔なり折躑躅(おりつつじ)』の俳句を残しています。 福智町 |
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駐車場に車が停まっていたが、その主だろうか?先客あり。 楽しそう… 若いっていいな |
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「つかれたー きつかったー」と、ふーふー言いながら、やっとちちがたどり着いた。「そんなにきつかった?」 滝の両側に何やら見えるが、近くに行けない。裸足になれば登れたかも… 不動明王か? |
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先客は一足お先に帰宅の模様。 実は、この駐車場の奥にも道があり、ちちはこっちから登ったという。死にそうだったらしい。 さすがに確かめてみようという気にはならず、帰宅することにした。登るときは、くれぐれの手前の道を。 |
2013/09/14「嘉穂劇場(全国座長大会)」「ヤマボウシ」
2013/09/15「内田三連橋梁(みつあんきょ)」「さくら館(おおとう桜街道)」
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